私はこのごろ思うのですが、ほんとうに日本の大学の教育・研究を充実させ、活性化させるためには、「この十数年進めてきた大学改革自体を一度、ストップさせること」が必要なのではないでしょうか。
例えば、少子化という状況や、教育・研究に関する国家的な補助金の配分などを通じた「競争的な環境」が、各大学における改革の動きを刺激している面は確かにあると思います。
ですが、その環境のなかで「競争」を「生き残っていく」のは大手の私立大学や旧国公立大学系のところくらいでしょう。
しかし、よく考えてみたらわかると思うのですが、教育・研究の分野によっては、「1年や2年という単位で成果のでないような分野」だってあるはずです。
例えば古典文学や思想、古代史や中世史などの分野は、もともとが相当昔の文献の解読を手がかりにしながら進む分野ですから、「1年や2年」という単位で「研究・教育の成果」を評価し、それによって「競争」的に研究資金を配分するということ自体になじむ分野なのかどうか。
あるいは、今「導入教育」といった試みを進めている大学があちこちにありますが、あれって、やればやるほど、かつて「大学1・2回生の教養教育」を担っていた「一般教養科目」とか「教養部」が果たしてきた役割、これを見直さないといけなくなってくるんじゃないでしょうか。
そんなことを考えていると、「この十数年、取り組まれてきた大学改革って、ほんとうに大学の教育や研究を活性化するものになっているのか? むしろ、分野によってはマイナスの効果しか生んでいないのではないか」という疑問すらわいてきます。
おまけに、このまま改革が進んでいくと、例えばある中小私立大学などは、昨日書いたような事務系スタッフの「不安定雇用」をもたらしたり、あるいは、教員の「多忙化」傾向をもたらすだけに終わってしまい、結局「みんなヘトヘトになって、何も残らない」というだけになりそうな気がします。実際、これはうちの大学のことではないですが、この何年も大学の学内業務に追われて自分の研究や授業準備に手が回らなくなっている同世代の教員もいれば、あまりに酷使されすぎて心身をすり減らし、長期休養を余儀なくされている教員もいます。
あるいは、「競争」に「生き残った」という大手の私立大学や旧国公立大学系のところでも、その大学間での「競争」に教職員が疲弊して、研究や教育面で余力がなくなるということも出てくるのではないでしょうか。
そうやって考えていくと、このままでは短期的には「競争」的な大学施策の導入が各大学の経営を活性化するかもしれませんが、長期的に見たら大学で働くあらゆる職種・雇用形態の人々(教員・事務系スタッフ、専任・契約職員・非常勤等々に関係なく)を疲弊させるだけで、結果的にはかつてよりj教育や研究の質・量ともに低下するということになりかねません。
それでも、今のような改革をすすめていくことが、ほんとうに日本の大学における教育・研究の充実という観点から見て妥当なのかどうなのか。私はやっぱり、疑問を感じてしまいます。
例えば、少子化という状況や、教育・研究に関する国家的な補助金の配分などを通じた「競争的な環境」が、各大学における改革の動きを刺激している面は確かにあると思います。
ですが、その環境のなかで「競争」を「生き残っていく」のは大手の私立大学や旧国公立大学系のところくらいでしょう。
しかし、よく考えてみたらわかると思うのですが、教育・研究の分野によっては、「1年や2年という単位で成果のでないような分野」だってあるはずです。
例えば古典文学や思想、古代史や中世史などの分野は、もともとが相当昔の文献の解読を手がかりにしながら進む分野ですから、「1年や2年」という単位で「研究・教育の成果」を評価し、それによって「競争」的に研究資金を配分するということ自体になじむ分野なのかどうか。
あるいは、今「導入教育」といった試みを進めている大学があちこちにありますが、あれって、やればやるほど、かつて「大学1・2回生の教養教育」を担っていた「一般教養科目」とか「教養部」が果たしてきた役割、これを見直さないといけなくなってくるんじゃないでしょうか。
そんなことを考えていると、「この十数年、取り組まれてきた大学改革って、ほんとうに大学の教育や研究を活性化するものになっているのか? むしろ、分野によってはマイナスの効果しか生んでいないのではないか」という疑問すらわいてきます。
おまけに、このまま改革が進んでいくと、例えばある中小私立大学などは、昨日書いたような事務系スタッフの「不安定雇用」をもたらしたり、あるいは、教員の「多忙化」傾向をもたらすだけに終わってしまい、結局「みんなヘトヘトになって、何も残らない」というだけになりそうな気がします。実際、これはうちの大学のことではないですが、この何年も大学の学内業務に追われて自分の研究や授業準備に手が回らなくなっている同世代の教員もいれば、あまりに酷使されすぎて心身をすり減らし、長期休養を余儀なくされている教員もいます。
あるいは、「競争」に「生き残った」という大手の私立大学や旧国公立大学系のところでも、その大学間での「競争」に教職員が疲弊して、研究や教育面で余力がなくなるということも出てくるのではないでしょうか。
そうやって考えていくと、このままでは短期的には「競争」的な大学施策の導入が各大学の経営を活性化するかもしれませんが、長期的に見たら大学で働くあらゆる職種・雇用形態の人々(教員・事務系スタッフ、専任・契約職員・非常勤等々に関係なく)を疲弊させるだけで、結果的にはかつてよりj教育や研究の質・量ともに低下するということになりかねません。
それでも、今のような改革をすすめていくことが、ほんとうに日本の大学における教育・研究の充実という観点から見て妥当なのかどうなのか。私はやっぱり、疑問を感じてしまいます。
#
by gogo0618
| 2006-04-18 13:08
| 私の意見