自分の勤務する某私立大学の様子を素材に、アラフォー世代教員の立場から、最近の大学改革の動向や大学教育の在り方について考察するブログ。不定期更新、こちらからの一方的な情報発信のみ。


by gogo0618
今日、大手の私立大学のなかには入学式をやっているところもあるようで、先ほど日曜日の昼前のニュースを見ていたら、関西の某有名私立大学の入学式の様子が報じられてました。
で、新入生が今年6千人とちょっといるとか、入学式の会場が超満員だとか、いろんなことを言っていましたね。

で、そのニュースを見ていて、中小の私立大学勤務の私が思わずもらしたのが、「あんたらのところが、こんなにも学生をとるから、小さい大学は苦労してるんだよ~!」というひとこと。
自分らさえ「ひとり勝ち」すりゃいいとばかりに、今あるスケールメリットをいかして、次々に新しい学部をつくる。
あるいは、「寄らば大樹の陰」とばかりに、「大手の有名私立大学でであれば安心」という親たちや、高校の進路指導部などの方針にうまく乗る形で、今まで以上に合格者を出し、入学者をごそっと他大学からとっていく。
こういう大手有名私立大学の「やりくち」によって、中小の私立大学は経営を脅かされている。
そのことについて、大手有名私立大学の経営陣や教職員は、どう考えているんでしょうかね?
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# by gogo0618 | 2007-04-01 12:02 | 私の意見
正直なところ、いま、あちこちの大学で少子化の進展・大学全入時代を前に、いろんな改革が取り組まれていますが、その一方で、「研究ができない教員」も増えています。
これは本人に非があるというよりも、次々に大学をモデルチェンジして、とにかく学生募集のことを真剣に考えたり、あるいはまじめに目の前の学生への対応をしていたりすると、研究に向かう余力がなくなってしまう、という原因によるものです。
要するに、本来であれば大学の教員が研究面にエネルギーを割くべき時間などを学内業務に費やす結果が、こういう形で現れている、ということです。

ただ・・・・、その一方で、少々厳しい言い方かもしれませんが、この手の教員に対して、私は別の思いも持っています。
例えば、大学の専任教員ではなく、非常勤講師のかけもちで食っているような人で、毎年なにか論文を書いたり、研究成果の発表をしたりしている人が、私の身近なところにいます。
こういう人を見ていると、はっきりいって毎日どこかで授業をしていないと食えないわけですから、「よくまぁ、研究成果の発表とか、しっかりやってるなぁ」って思います。
また、私の知り合いには、公立の小中学校や高校の教員で、あるいは地方自治体の職員で、いろんな研究論文や本を書いている人もいます。大学の教員のように一応研究に専念のできる時間が確保されているわけではなく、土曜や日曜ぐらいしか時間の取れない人だと思うのですが、それでも、何か書いているわけですよね。
逆にいうと、研究面で「いたれりつくせり」の環境ではない条件下でも、地道にこつこつ、何かを書いている人がいる、ということです。

そういう人たちのことを考えると、確かに大学改革で、あるいは学生募集の仕事で、いろいろ忙しくて大変だという事情もわからなくもないし、私も「忙しいなぁ」と思ったりもしています。ですが、よくない条件の下でも、なんとかそれを「しのいで」、研究成果を発表していけるような道を探っていくことも、そろそろ必要なのではないかな、という気がしています。
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# by gogo0618 | 2007-03-25 15:43 | 私の意見
前回書き込んだ話の続きのようなものですが、個別のケースをさておき、「一般論」的に「大学教員の採用って、こういう形態が望ましい」ということを書いておきます。とりあえず「公募編」と、「一本釣り編」に分けて書いておきます。

○公募編
 これがどこの大学でもだいたい「一般的」になりつつありますが、少なくとも、次のような条件で行うのがスジでしょう。

(1)最低限、採用後の担当科目、給与・待遇その他勤務条件(例えば任期つきとか、大学近辺居住が条件とか)、採用時に必要な資格要件(学歴・資格や実務経験の有無、年齢など)、採用選考の方法(書類審査と面接など)が具体的に明記された形で、まずは「公募」が行われること。ちなみに、私立大学で宗教系の場合、その宗派との関係(少なくとも、その私立大学と深い関係にある宗派を否定しない考えの持ち主である、ということなど)も、条件に入れておかないとだめでしょう。

(2)また、その「公募」に際して、「採用後、その教員にやってもらいたい職務」が、なるべく具体的に伝わるようにすること。例えば、「各科目の担当のほかに、教務などの学内業務の負担もある」とか、「実習指導に際しては、学外の実習先をまわってもらうことがある」など。

(3)(2)までの「公募」に際しての条件が明確であれば、実は書類審査や面接もわりと「公平」に行うことが可能。というのも、これらの要件をきちっと満たし、勤務条件にふさわしい人物を書類・面接などから浮かび上がらせれば、候補者の絞込みに結果的につながるから。また、(2)までの条件で気になる点などがあれば、面接の段階で採用する側の大学が徹底的に質問等をして、本人に問いただして解明しておくべきでしょう。

(4)逆に、公募での大学教員の採用に「失敗」するとか、何がしかのトラブルが起こるというのは、この(2)までの条件設定があいまいであるとか、(3)で書いたように面接のやり方が悪いとか、(2)までの条件を守る意思が大学側にはないとか、どちらかというと、採用される側よりも採用する大学側の問題、というしかありません。要するに、「自分の大学でほしい人材を見分ける目がない」か、「採用される側との約束を守る気もないひどい大学」かの、どちらかではないか、と思うわけです。

○一本釣り編
 ここで「一本釣り編」と書いたのは、何らかの事情により特定分野の担当教員がその大学で必要になり、公募によらない方法で他の大学等からきてもらうケースを想定しています。
 ですが、この一本釣り編も、原則的には「公募」と同じ手順をふむべきだと私は考えます。
 例えば、一本釣りで呼んでこようと思う教員に求める職務の内容、担当科目、給与・待遇その他の勤務条件、採用時に必要な資格要件などを、実際に「公募」にかけるくらいのつもりで具体化しておきます。
 つまり、その条件に「ふさわしい」という人物を、今回はどうしても逃がしたくない人物がいるので「一本釣り」で呼んできた、ということ。きっと、「公募」にかけても「この人ならOKになっていたはず」という風に、学内・学外に対してそう思わせるくらいの手順をふむべきだ、という風に考えるわけです。
 そして、この「一本釣り」の場合のほうが、「公募」のように条件を示しての選考でない分、上記「公募編」(4)で書いたように、「自分の大学でほしい人材を見分ける目がある・ない」が明確に問われます。採用したあと、「この人採って失敗だった」というのは、採用した側の大学の「人を見る目のなさ」が、「一本釣り」の場合のほうがまともに出る、ということでしょう。

というような次第で、先日書き込んだケースも含め、大学の教員採用人事にまつわる諸問題は、採用される側の問題というよりも、採用する側の各大学のあり方がまともに問われる、ということだと思います。
要するに、学生募集に際してもこのごろは各大学に「アドミッション・ポリシー」(入学者選考の基準など)の具体化が求められるところですが、教員採用についても同じように、「どういう人材がほしいのか?」というポリシーのある・なしが、各大学に問われているということです。
そして、教員採用人事でトラブルを起こしたり、あるいは「この人採用して失敗だった」というのは、その大学の人事に関するポリシーがなんなのかが問われている、ということではないのでしょうか。
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# by gogo0618 | 2007-03-19 08:52 | 私の意見